松浦亭の書棚

ラスト・ウィーク(前編)


   1

それはいつもと同じ朝だった。十月の心地よい気候は新井家の長男であるハジメをベットに縛り付け、カーテンの隙間からは柔らかい朝暘が差し込み、隣の家で飼っている柴犬は散歩を要求して吠えていた。
枕元の目覚まし時計が時を刻む音がする。後何回かこの音を聞けばジリリリリと小さなハンマーがベルをたたく音がするだろう。それから、階下から母親が早く起きろと言ってくるかも知れない。
ハジメの家はコンビニを営んでいる。一階がコンビニで、二階が自宅だった。母親は深夜シフトのバイトが帰ってから、午前シフトのバイトと一緒に朝の弁当商戦を乗り切る。その激務の隙間で、ハジメと妹の明美を学校に送り出すのだ。
もう来るぞ。もう来るぞ。
目覚まし時計と母の呼び声という両面作戦が開始されるのを、布団の中でぼんやりと意識しながらまどろんでいた。
数秒後。まず目覚まし時計が家中に響くような音を立てた。ハジメは素早く目覚ましを解除する。目覚まし時計の音は、レジにいる母親にも聞こえているはずだ。だから、あと数分もしないうちに、たたき起こしに来るのはわかっていた。

おかしいな。
時計を見たわけではないが、体が覚えている時間を過ぎても母が二階に来た様子はない。それどころか、家の前の街道を走る車もいつもより少ないようだ。街全体が、奇妙なほど静かだった。
「ふぁーあ……」
ベッドから起きあがり大きく伸びをして台所に行く。そこでは母と明美、それに遅番で午前中は寝ているはずの父がテレビにかじりつくように見ていた。
「おはよう」
誰も返事をしない。父は黙って、手招きをした。午前中だというのに、いつもなら半分眠っているような父だというのに、今日は厳しい表情をしている。顔が引き締まって見えるせいで、寝癖の付いた頭もベートーベンのように、もともとそういう髪型なのかと思えてしまう。
ハジメも自分の席に座り、家族が身を乗り出して見入っている、十四インチのテレビデオを見た。チャンネルは公共放送のOILだったが、映っているのはいつものニュース番組ではないようだった。
『臨時ニュースをお伝えします――――』
普段見ないアナウンサーだった。十分な準備が出来ていなかったらしく、ひげは薄く伸びていて、ネクタイは曲がっていた。
とんでもない緊急なニュースだった。しかし被災地の上空から撮影した映像もなければ、現地対策本部の前から中継するレポーターもいなかった。そんなものは存在しないニュースだったから。

七日後に地球は滅亡します。

実に簡単なニュースだった。各国首脳の思惑も、北と南の衝突も関係なかった。
ニュースソースはとある写真週刊誌だった。数日前から続々と、東京を離れ始めたお偉いさん方を追いかけていた記者が、巨大な小惑星が地球に衝突するのだということを突き止めた。政府はすぐに官房長官の記者会見を開き、事実無根だと発言したが、その官房長官自身も数時間後には日本を発つことになっていた。
一方、アメリカではフリーのジャーナリストが、『ノアプロジェクト』というNASAの機密を暴いた。
ノアの箱船。大災害を避けて、命をつなぐため、一部の動植物を乗せて旅立つ宇宙船。NASAは何年も前から極秘に準備をしていたのだった。シャトルで何度にもわけて機材は運ばれて、今や軌道上には宇宙船というよりはちょっとしたコロニーのようなものが浮かんでいる。
そしてそれには、アメリカとその同盟国の指導者たちや一部の選ばれた民間人、それに食料になるような動植物が、今急ピッチで送られているのだそうだ。
「店長! あと一週間で地球が滅びるって本当ですか?」
一階のコンビニで店番をしていたバイトの末長さんが、台所まで押しかけてきた。店内に流しているラジオ放送でニュースを知ったらしい。
「俺、田舎の両親のところに帰ります。だからバイト、今やめさせてください」
「わかった。少ないけれど、これを持って行きなさい」
父は財布から三万出して末長さんに渡した。
「今に大混乱が始まるから、店を閉めるぞ」
ハジメは父を手伝って店のシャッターを下ろした。中から鍵もかけたから、火事場泥棒には遭わないだろうと思った。
「俺たち、どうなるのかな?」
「頭の上に、でっかい隕石が落ちてくるんだろ? 家ごと押しつぶされて死ぬんじゃないか?」
聞いたハジメも、答えた父も、全く実感が伴っていない。確かに小惑星がぶつかる時に、日本が表を向いていたら潰されるだろう。仮に運良く地球の反対側にいたとしても、地球の気候はめちゃくちゃになって、生き延びられるとは思えない。第一、そんなに大きな物体がぶつかったら、地球が二つとか三つに割れるかも知れない。そうなれば、あとに残るのは太陽の周りを周回する岩石群だけだ。

「オヤジ。俺、学校に行ってくるよ」
十七年間、たいした目標も立てずに生きてきたハジメにとっては、この非常時においても他にやるべきことなど思いつかなかった。
「そうか。気をつけて行けよな」
八時五十分か。遅刻は決定だな。
店の裏においてあるマウンテンバイクにまたがり学校へと向かう。ハジメは一昨年から共学になった元女子校、私立百合杜学園に通っている。元女子校だがハジメに下心があったわけではない。全くないかと言えば嘘になるが、主な理由は電車を使わなくても通学できるということと、成績を見た中学の担任が勧めたからだ。大方の予想に反して、ハジメの学年は男女の人数比はほぼ均等だった。カトリック系の学校だったが、生徒に押しつけるようなことはしなかった点も、ハジメは気に入っている。
本来ならば、自転車は押して歩かなければいけないことになっている商店街を疾走する。二十四時間営業の総菜チェーン店は開いていたが、個人商店はまだシャッターが降りたままだ。十時をすぎても開くかどうかはわからない。
それにしても静かすぎるな。
いつもなら駅へと向かう通勤通学の歩行者や自転車が入り乱れて移動しているのに、今日は人っ子一人見かけない。ハジメは以前、お盆休みで田舎に帰る時に、早朝四時に商店街を歩いた時のことを思い出した。
真夏なのに空気は涼しく、誰もいないのにあたりは薄明るく、店のシャッターはすべて閉じられていて、この世には自分たちしかいないんじゃないかと思った。
その時の非日常感が、ふと脳裏に蘇った。

   2

あまりに唐突すぎることをいわれると、思考が停止してしまう。それはハジメだけではなかったようで、二年B組の教室には八割方の生徒が集まっていた。ホームルームはとっくに終わり、一時限目の授業が始まっているはずの時間なのに、教壇に教師の姿はない。教室中がいくつかのグループに分かれて、小惑星のことをまるで昨日放送されたドラマの行方について語るような調子で雑談していた。
「おはよう」
隣の席の谷崎美登里と後ろの席の花田徹に話しかける。二人とも神妙な顔をしてうつむいていた。
「てっきり休みかと思ったぜ」
花田はハジメの顔を見て、少しうれしそうに言った。花田とは入学以来のつきあいだ。今では親友と呼べる唯一の友人でもある。
花田は小さい頃から柔道をやっていて、百合杜で男子柔道部を立ち上げた男だ。
「それより授業はどうなってるんだよ?」
「さっぱり音沙汰なしよ。ホームルームもまだだし」
そういう美登里は雑談に加わる風でもなく、ただじっと黒板を見つめていた。若干の悲壮感を含んだ表情で。
「ねえ、新井。小惑星ってホントに地球にぶつかるのかな?」
美登里は他の女子と違って、ハジメのことを『新井くん』でも『ハジメくん』でもなく、ただ『新井』と呼び捨てにする。そして、たびたびケンカもする。もし、百合杜学園が共学になっていない頃に入学していたら、美登里は異端児としてどこにも居場所がなかったかも知れない。谷崎美登里はそんなやつだった。
「どうなのかな。ぶつかる瞬間まで、なにが本当なのかなんて俺たちにはわからないんだろうな」
ハジメは窓際に行って空を見上げた。ぞっとするほど深い青で、わずかに高層雲が見えていて、風は乾いていて心地よく、日差しは柔らかい。今日も気持ちのよい秋晴れの一日になりそうだった。
「小惑星、見えるのか?」
「いや、見えない。夜になれば見えるのかもな」
始業時間を三十分ほど過ぎた頃。プツッと教室のスピーカーから音がして、校内放送が流れた。
「みなさん、おはようございます」
校長の声だった。
「すでに皆さんも知っているように、この地球に向かって大きな隕石が落ちてこようとしています。今朝方、数人の先生からお電話があって、もう学校には来られないということでした。残念ですが、もう百合杜は学校として機能していません。校内にいる皆さんはチャペルに集まってください。一緒に神に祈りましょう」
放送はそれで終わりだった。自然とクラスの奴らが席を立って、チャペルへと歩き出す。
校長は決してやり手ではなかったし、特別な実績があるわけでもなかったが、暖かみのある人柄で生徒たちから人望があった。
「クックッ……」
野村が机をたたいて笑いを噛み殺した。
「なにがおかしいのよ!」
加藤咲が、野村に突っかかった。教室中の視線が、二人に集まる。
「もうすぐ死ぬ人たちはキリストに祈ったり逃げ出したりで大変ですね。それがおかしいんですよ。トイレに流されるゴキブリがバタバタするみたいでね」
「あんただって同じことでしょ?」
「違うよボクは。親は高級官僚だし、ボクは全国模試でトップを取ったこともある。だからもうじきノアプロジェクトから迎えが来るはずだ。君たちが散っていくところを、宇宙からゆっくり見物させてもらうよ」
キッと野村をにらみつけて、わき上がる憎しみのエネルギーのやり場を探していた咲の横を、人影がスッと通りすぎていった。
スパーン!
美登里の平手打ちが野村の左頬に炸裂した。
「人でなし!」
吹き飛んだメガネを床から拾い上げて、野村はゆっくりと立ち上がった。
「人でなしで結構。もう、君たちとの勝負はついてるんだからね」
「行こうぜ。こんなやつとは同じ部屋の空気なんか吸っていられないだろ」
ハジメは美登里の手を引いて教室を出た。背後からは野村の口笛が聞こえていた。曲は『贈る言葉』だった。

   ★

勘のいいやつは学校になど顔を出していなかった。ちょっと鈍いやつでも、事態がようやく飲み込めてきた頃のことだった。機械に弱い校長は、アンプのスイッチをあれこれと調整し、ようやく聖書の朗読をしようとしていた。
やっとこれから神に祈りを捧げようというときに、校庭の方で、堅い物がぶつかる低く強い音と、金属の悲鳴がした。
「皆さん、落ち着いて席について下さい」
校長の言葉など誰も聞いていなかった。地響きの原因をこの目で確かめようと、チャペルの入り口には生徒が殺到した。
「花田、こっちだ!」
ハジメはチャペルの奥にある階段に向かって走った。階段は二階部分の回廊とパイプオルガンの演奏席につながっている。暗幕の向こう側に行けば、ガラス越しではあるが校庭の様子を見ることが出来るだろう。
「ちょっと待って! わたしも行く」
ワンテンポ遅れて、美登里も階段を上ってきた。暗幕を持ち上げてその下をくぐる。
「!」
見えたのは、校門の門柱と鉄柵を破壊して、校庭に入り込んできた戦車や装甲車だった。緑色で流れるようなデザインに箱形の赤外線暗視装置。プラモデルに疎いハジメでも知っている、自衛隊の主力戦車、七四式戦車だった。
そのほかにもトラックが数台、それに八輪の走行車両が二台ほど見えた。
「なんなのよこれ!」
美登里の声は震えている。ハジメも膝がガクガクしているのを押さえきれなかった。地球が七日後に滅びるのだという情報を、初めて実感した瞬間だった。

まもなく、数人の隊員がチャペルに入ってきた。全員が小銃を携えて、迷彩服にヘルメットをかぶり、同じ表情で。
「静粛に」
隊員は、一定間隔でチャペルの四方八方に立ち、そのうちの一人が校長からマイクを奪った。たぶんこいつが指揮官なのだろう。
「我々は陸上自衛隊第一師団、第一普通科連隊である。今から二時間前に、治安出動命令が出された。ここの校庭はヘリポートとして使用する」
私立の校舎になだれ込んできて、この勝手な言い分。ハジメは頭に来た。
「落ち着け、今は動くな」
花田がハジメを暗幕の外側へと引き戻す。
「同じ服に、同じ顔、それと同じ身長。俺はな、警察官とか自衛官は嫌いなんだ」
「わかってる。でも、今はどうにもならないだろ?」
花田の言うとおりだった。完全に百合杜は掌握されている。
「ここからは、この地区に住む『ノアプロジェクト』に選ばれている国民を羽田まで搬送する。無関係な者は至急自宅に帰るように。もうじき外出禁止令が出される」
自衛官たちに追い立てられるように、生徒はチャペルの外へと出て行く。
「どうする?」
小声で花田が聞いてくる。
「学校を出よう。ここに残っていてもどうにもならない」
どさくさに紛れて『ノアプロジェクト』に入り込むには、事態が整然としすぎていた。このままヘリに乗り込もうとしたら、その場で頭を撃ち抜かれかねない。
チャペルから教室棟への渡り廊下で、荷物を抱えて出てきた野村とすれ違った。相変わらず口笛を吹きながら、指揮官と思わしき自衛官の所へと歩いていった。
「クソッ、面白くないな」
ハジメは立ち止まり、だらしなく歩く野村の方を見る。中身のないカバンをくるくると回す。ダートの校庭を蹴るようなステップを踏む。その一つ一つの動作が憎かった。
「教室に行こうぜ。あんなの見てても、なにも解決しない」
花田が耳打ちする。
「わかってるよ」
さっきの自衛官は帰宅するように言っていたが、ほとんどの生徒はカバンを取りに教室に戻っていた。
ハジメたちが教室に戻るのと入れ違いに、二発のプロペラを持つヘリコプター、CH-47Jが校庭に着陸した。たぶんこいつで羽田まで移動して、そこからジャンボでケネディー宇宙センターに運ばれるのだと思った。
教室の窓から外を見ていると、ベンツやBMWが校庭に入ってきた。車から出てきた老人には見覚えがある。結構有名な詩人だった。老人とはいえ、背筋は伸びているし、歩く姿にも年齢を感じさせない力強さが残っている。老人はたいした荷物も持たずに、車からヘリへと一直線に歩いていった。
ヘリの後部ハッチには例の指揮官がいて、老人を中に入れる。手には黒いファイルを持っている。おそらくそこには、連れて行くべき人間のリストが書いてあるのだろう。
戦車を見物していた野村も、ヘリのハッチへと進んだ。入り口で指揮官となにか話している。話はこじれているようで、野村の身振り手振りが大きくなる。しまいには、駆けつけた二名の自衛官によって野村はヘリから引き離された。
「どうしたんだろうね?」
一緒に外を見ていた美登里が、怪訝な顔をした。
「傑作だな。あいつは『ノアプロジェクト』の候補には、入ってなかったみたいだぜ」
野村は夢遊病者の様にフラフラしながら、教室棟へと入ってきた。まもなくこの教室に帰ってくるだろう。ハジメは思いつく限りの単語を使ってこき下し、思いっきり笑ってやろうと思った。
まもなく教室の扉が開き、惚けたような顔をした野村が足を引きずるようにして入ってきた。
「宇宙行きの切符は売り切れだったみたいだな、エリートさん」
「なぜだ! なぜ、ボクじゃないんだ! ボクは選ばれるべき人間なのに!」
野村は加藤咲に襲いかかった。低い姿勢から抱きつくようにして、教室の床に押し倒す。周りにいた女子が悲鳴を上げた。
「どうせみんな死ぬんだ。みんな死ぬんだよ!」
野村は馬乗りになり、咲のブラウスを引きちぎる。
あわててハジメと花田が飛び出し、半狂乱の野村を咲から引き離した。
「ボクは東大の理Vにだって入れるんだぞ。そのためにすべて投げ出してきたんだ。今更地球は滅びますって言われて、はいそうですかなんて言えるか!」
花田に羽交い締めにされながらも、野村は叫び続けた。

   ★

教室の隅に固まって、女子はすすり泣いている。少し離れたところに美登里は座り、腕組みをしてじっとしている。そして、ハジメと花田を含む男子は、野村を簀巻きにして、掃除用具入れに放り込んで、そんな女子の様子を黙ってみていた。誰も慰めの言葉一つでない。全員がどのみち一週間後に死ぬのだ。そのことが、自衛隊の出現によって急に現実感を伴った。
「なあ、こうしていても、らちが明かないんじゃないか?」
ハジメは、うつむいている美登里に話しかけた。
「確かに。ここにいて宇宙へ逃げ出す人を見ても、なんの救いにもならないよね」
美登里はそう言って立ち上がった。
「泣くの終わり! みんな家に帰るよ」
ハジメは後ろを見た。花田も美登里の言葉にうなずいていた。
帰ることは決まったが電車が動いているのか不明だったから、ハジメは自転車を押して、花田、美登里、咲と一緒にJRの駅へと向かった。

   3

ハジメたちが学校を出る一時間ほど前のことだ。新井家は強盗に侵入された。
まだ事態が飲み込めていなかった頃、ハジメを学校に送り出した後は一家そろってテレビを見ていた。まず、民放のうち、二つのチャンネルが放送を中止した。それから一時間ほどの間に残りの各局も放送を止めてしまい、残りは同じニュースを繰り返すOILと、子供向けの古いアニメ、モーミンを流しているテレビ東都だけになった。
OILもだいぶ人手が足りないようで、カメラは一台だけ、それからアナウンサーも一人、おまけに現場からの中継やVTRなどは一切流せていなかった。モーミンの方はおそらくテープを流しているだけで、すでに局の中には誰も残っていないのかもしれない。
そんなとき、金属が引きちぎられる音と一緒に地震が来た。正確には、新井家だけが揺れたのだが、二階の台所に集まっていた家族は始めそれを地震だと思った。
「ちょっと外の様子を見てくる」
父が席を立ち、窓から顔を出す。見たところ人影がないことをのぞいては不自然な点はない。自分の思い過ごしかと思って視線を下に持って行くと、前半分を店に突っ込んだ乗用車があった。警戒していたとおり、店が狙われたのだ。
「おい、かあさん、明美。泥棒だぞ!」
父は草野球で長年使ってきた金属バットを持って、一階のコンビニへと走った。母はフライパンを持ち、明美は持っていた雑誌を丸めて、父の後を追った。
「おいこら! 貴様らなにしてる!!」
侵入者は覆面すらしていない二人組だった。えらの張った顔立ちの男と、細長い、やたらと背の高い男だった。冷凍棚から清涼飲料水をかごに入れていた二人は、その手にナイフを握り、父に向かってきた。
「さっさとあの世にいっちまえ!」
父も金属バットを振り上げて応戦した。
強盗が突き出すナイフと金属バットがぶつかり、火花が散る。
間合いでは金属バットに利があったが、ふれただけではダメージを与えられない。ある程度速度をつけて急所に当てるのは、狭い店内では難しかった。
「△×○◇!」
「¢%◎」
二人組は意味不明の言葉を交わし、二手に分かれて父を挟み撃ちにしようとした。
「お父さん、しっかり!」
母がフライパンを振りかざして、背の高い方の男に殴りかかる。
男はナイフをいったん下げて、母のフライパン攻撃をスウェーでかわし、後ろに回り込んでナイフを首に突きつけた。
「バット、ステロ。オンナ、コロス」
「お母さん!」
明美が投げつけた雑誌は空中で広がり、男の足下に落ちた。

   ★

沿線を歩いているときから、一両も列車が走っていないのはおかしいと思っていたが、予想通りJRはすでに運転をしていなかった。駅長が一人、改札に立って、運転手も車掌も駅員もみんな職場を放棄してしまい、JRが機能していないと説明していた。
もしも歴史が続くのなら、このメガフォン一つで必死に職務を遂行した駅長はプロジェクトもののドキュメンタリー番組にでも紹介されるかもしれないが、それも今となってはただの夢だ。
「おまえら、どうすんの?」
ハジメは一緒に駅まで来ていた花田たちに聞いた。
「歩いて帰るしかないな」
花田は覚悟を決めたようだ。確かにここから花田の家までなら、歩くのも決して無謀ではない。
「それなら、俺の家来いよ。弁当と自転車やるから」
この状況下では、弁当を積んだトラックがちゃんと店に来たかどうかはわからないが、スナック菓子でも腹の足しにはなるだろう。
「ありがとう、新井くん」
咲が今日、初めて笑顔を見せた。
駅からハジメの家までは、徒歩でも十五分ほどでつく。さらに、この混乱で商店街は皆シャッターを下ろしていたから、人影もまばらで、いつもより早く到着した。
「おい、あれなんなんだよ!」
白い乗用車が店舗に突っ込み、シャッターがめくれあがっている。
ハジメは自転車を投げ出して、店に向かってかけだした。
「お、おい!」
一緒にかけだした美登里と咲に遅れて、花田は自転車を起こして追いかけた。

「全く、近頃は物騒でいかん。全くいかん、いかん」
店内には、ぶつぶつとなにか言いながら弁当を漁っている乞食の老婆が一人と、三人の遺体があった。父はポテトチップスの缶を握りしめて、ジャンクフードの棚の前に倒れていた。母は明美に覆い被さるようにして、レジの中で背後から刺し殺されていた。
きっと明美をかばったのだろう。しかし、ハジメの期待もむなしく明美も胸を刺されて絶命していた。
「こんなのってありかよ……。嘘だろ?」
呆然と立ちつくすハジメ。
「新井……」
他の三人は、かける言葉を失っていた。地球滅亡まで後七日。しかし、ハジメの日常は一足先に突然の終わりを告げていた。
「出て行け! 出て行けよ、クソババア!」
ハジメは乞食の老婆を店の外へと蹴り出す。
「ワシが殺したんじゃない。ワシは関係ないぞ」
「うるせえよ! んなことは聞いてねえんだよ!」
「わかったわかった。出ていくから蹴るのを止めろ」
乞食の老婆がぶつぶつと文句を言いながら出ていった後、ハジメは肩で息をしながら入り口のところで膝から崩れ落ちた。
「なんでこんなことになっちまったんだよ」
悔しくて、やりきれなくて涙が出てきた。
水に溺れて死ぬ。これは経験しなくても、なんとなくわかる。火をつけられて焼け死ぬ。これもわかっているつもりだ。しかし、小惑星が地球に衝突して死ぬというのは、全く想像がつかなかった。だから、その瞬間までは今まで通り生活出来るんだと信じていた。
しかし、その展望は裏切られた。
目の前にある家族三人の遺体。ハジメにもわかる、ナイフによる刺し傷で三人は殺されたのだ。
残された時間で、いったい自分はなにをすればいいのか?
ハジメの思考は古い記憶、小学三年生だった頃へと飛んだ。

   4

時を遡ること十年。
ハジメは静岡県南伊豆町に住んでいた。そこは父親の実家であり、ハジメにとっては、いつもお菓子をくれる優しい祖母と、総入れ歯を出したり引っ込めたりして笑わせてくれる面白い祖父の家だ。
伊豆半島の先端に近いこの町では海もきれいだし、山もあったし、遊ぶ場所はいくらでもあった。
そのころ仲がよかったのは、近所に住む同級生の女の子で、あーちゃんというあだ名だったとハジメは記憶している。おそらく本名が『あ』の音から始まるのだろうと考えたが、正確な名前は思い出せなかった。
名前は記憶に残っていなくても、あのころの情景は今でも肌で感じられるほどよく覚えている。強い日差し、深い緑、そして潮のにおい。
海岸線を走る国道を渡り、黒い樹木のトンネルを抜けると、そこはちょっとした岬の先端になっていた。ハジメとあーちゃんの秘密の場所だった。そこには松の木があって、枝を落としていなかったから容易に木登りが出来た。ハジメは祖父から『すのこ』をもらってきて、地上から五メートルほどの所の枝に乗せて、秘密基地を作った。あーちゃんも、基地作りに協力してくれた。古い傘を数本持ってきてくれて、上の枝に傘を乗せて簡単な屋根を作った。二人はそれぞれの宝物を、秘密基地に持ち込んだりして装備を充実させていった。それは雑誌のおまけで付いてきた懐中電灯だったり、親戚のおじさんが作ってくれた鉱石ラジオだったりした。
二人並んで海を見ながら、今が永遠に続くのだと信じていた。

しかし、そんな日常は夏休みに入ったばかりのある日、簡単に壊された。ハジメの父が、勤めていた旅館を辞めて、東京でコンビニを始めると言い出したのだ。コンビニを開く土地は母方の祖父母のもので、その辺は大人たちの微妙な駆け引きがあったのだが、ハジメにはどうでもいいことだった。問題はこの南伊豆町を、つまりあーちゃんの住む町を離れて、東京とやらに行かなければならないということだった。
きちんと、この町を離れて行くことを伝えなければならない。それは幼いハジメにもよくわかっていた。しかしあーちゃんを悲しませるようなことは言いたくない。
東京行きが迫るなか、ハジメは三日三晩悩んで、ついに打ち明ける決心をした。
寝ぼけたままラジオ体操に行き、いったん別れて家で朝食を取り、いつもの時間に秘密基地に行った。あーちゃんはもう基地に来ていた。
「ハジメちゃん、見てみて」
出し抜けにあーちゃんは、きれいなビーズ玉で作ったネックレスを見せてくれた。そのビーズ玉は、全部パールホワイトで統一されていて、とてもあか抜けて見えた。
「凄い! それあーちゃんが作ったの?」
「そうだよ。糸に一つずつ通して作ったの」
ひとしきり感心して眺めていたハジメだが、すぐに大切なことを思い出した。目を見て、つばを飲み込み、思い切って声を発する。
「あのねあーちゃん。僕、東京に引っ越すことになったんだ。だから、もう一緒に遊べないんだ」
急に、あーちゃんの瞳が曇る。『もう一緒に遊べない』その言葉にショックを受けていたのだろう。
「なぜ? どうして??」
あーちゃんは知っている限りの言葉で、ハジメを問いつめた。その声は震えている。潤んだ瞳から涙がこぼれるまでに、ハジメは出来る限りの説明をしようとした。
「僕の父さんが、仕事を変えることにしたんだ。東京でコンビニをやるんだって。それで母さんと僕も、東京に行かなきゃならないんだ」
「もう会えないの?」
弱々しい涙声。
「そんなことない」
ハジメは力強く否定した。
「今は無理だけど、大人になって自由に電車に乗れるようになったら、絶対会いに来る」
「ほんと?」
「うん。約束するよ」




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